星峰のきまぐれ日記
日々の練習風景やおしゃべりを織り交ぜ日記風に 書きとめたいと思っています。
[No.2530] 2019/02/25 (Mon) 13:16
インフルにかかったよ~
インフルエンザにかかってしまいました~
歩き旅から帰って来てからそれ程忙しい時間を過ごした訳でもないの身体があまり
思わしくない・・
こんな状態でもジムに行き、レッスン時間を間違えて1時間以上も早くプールに入って
しまったものだから うん十年振りにクロールで泳いでみました。
もう、超超久しぶりなので、25M泳いではヘイヘイ、ゼイゼイ・・これで100Mだけ泳ぐに
心臓バクバク。。後はビート板で行ったり来たり・・
アクアビクスがはじまるまで水遊びをした後疲れて帰宅・・土曜日はけだるくて有酸素系
の筋トレだけして帰宅・・夜から倦怠感と悪寒が走る・・
熱は6時8分・・微熱だが、寒さの為早々ベットに潜り込む・・
日曜日どうにも悪寒がして辛い・・教会も休み、大事な教会の総会がお休みをして寝てる。
熱は7度8分??あれ~もしかしたらインフルエンザかな???
数週間前に、TVで、高齢者は熱が出なくてもインフルエンザにかかってる場合があると聞き、
もしかしたらインフルエンザかもって思いが湧いてきた。
月曜日(本日)熱は6度に下がっている・・あれれ熱が下がったのなら受診しなくてもいいかな?
って気持ちになったものの、何時ものようなすっきりした気分になれない・・
病院の予約を取り、9時なったので受診・・2番目に呼ばれ状態を話し鼻に綿棒を入れて検査を・・
7~8分かかるから待合室で待つよう言われ外に出る・・
数秒の内に呼ばれ、マスクをつけほかの部屋で待つように・・あは~~ん陽性が出たな~ぁ・・
やはり噂のように、高熱が出なくてもインフルエンザになるって事なんですね。平熱が5度台の
者が、6度の後半も出ればDrも怪しいと思って検査を進めようと思ったそうですよ。
とにかく結果が出て薬を飲み、家でまったりしていますが、さて、移っていない家族に対して
どう対処したらいいのか頭がいたいですね・・
因みにA型でした。 混合系ワクチンは11月に打ってるんですけどね・・
歩き旅から帰って来てからそれ程忙しい時間を過ごした訳でもないの身体があまり
思わしくない・・
こんな状態でもジムに行き、レッスン時間を間違えて1時間以上も早くプールに入って
しまったものだから うん十年振りにクロールで泳いでみました。
もう、超超久しぶりなので、25M泳いではヘイヘイ、ゼイゼイ・・これで100Mだけ泳ぐに
心臓バクバク。。後はビート板で行ったり来たり・・
アクアビクスがはじまるまで水遊びをした後疲れて帰宅・・土曜日はけだるくて有酸素系
の筋トレだけして帰宅・・夜から倦怠感と悪寒が走る・・
熱は6時8分・・微熱だが、寒さの為早々ベットに潜り込む・・
日曜日どうにも悪寒がして辛い・・教会も休み、大事な教会の総会がお休みをして寝てる。
熱は7度8分??あれ~もしかしたらインフルエンザかな???
数週間前に、TVで、高齢者は熱が出なくてもインフルエンザにかかってる場合があると聞き、
もしかしたらインフルエンザかもって思いが湧いてきた。
月曜日(本日)熱は6度に下がっている・・あれれ熱が下がったのなら受診しなくてもいいかな?
って気持ちになったものの、何時ものようなすっきりした気分になれない・・
病院の予約を取り、9時なったので受診・・2番目に呼ばれ状態を話し鼻に綿棒を入れて検査を・・
7~8分かかるから待合室で待つよう言われ外に出る・・
数秒の内に呼ばれ、マスクをつけほかの部屋で待つように・・あは~~ん陽性が出たな~ぁ・・
やはり噂のように、高熱が出なくてもインフルエンザになるって事なんですね。平熱が5度台の
者が、6度の後半も出ればDrも怪しいと思って検査を進めようと思ったそうですよ。
とにかく結果が出て薬を飲み、家でまったりしていますが、さて、移っていない家族に対して
どう対処したらいいのか頭がいたいですね・・
因みにA型でした。 混合系ワクチンは11月に打ってるんですけどね・・
[No.2531] 2019/02/24 (Sun) 16:44
京都観光編
H31年2月20日(水)晴れ
街道歩きの時の様な忙しさがない朝を迎え、朝ぶろに浸かり、ホテルの無料の朝食
を頂きました。本来ここのホテルは無料のバイクングなんですが、全館リホーム中の
ため、お弁当での提供となっていました・・
我々はサンドイッチを頂き、コーヒーとトマトジュースも頂いて一泊4000円とお手頃
価格です。

ホテルを後にし未明まで雨が降っていたと思われる道を歩き京阪の祇園四条駅から
電車で伏見稲荷神社にと向かう。今回の観光希望は私が伏見稲荷の鳥居、Kさんが
東寺傍にある羅城門跡地を、後はなりゆきって感じの行き当たりばったりの観光です。(笑)

伏見稲荷も多くの外国の方が見学に来ていましたね~この鳥居を全部回ると2時間は
かかると言う事なので途中で引き返してきました。その後は奈良線で京都駅に行き新幹線
乗り場に近いコインロッカーに荷物を預け身軽で観光続行~
Kさんが見たいと言っていた羅城門跡地は五重塔で有名な東寺を越して行くのでついでに
東寺も見学~五重塔が綺麗に見える場所は有料なので外から見学・・(アハハ・・ケチだから)

羅城門跡地は小さな公園の中にあり、京の都があった時代にはきらびやかったでしょうね。

羅城門跡地見学後、再び当時の前を通過し、京都水族館がある梅小路公園の梅を見学
しながら西本願寺を見に行く・・

がしかし西本願寺を目の前にしながら「何処が西本願寺なのよ」~~ってブツブツ言いながら
通り過ぎてしまう。近場に居た方に尋ねると、道路越しに大きお寺さんがあるが、「ここのお寺さん
なんていうのかな?」など話していた場所が西本願寺でした・・アハハ~目の前で見てたのに気が
付かないってね~^_^; 道路の向こう側が西本願寺~~

西を見損なったので今度は東本願寺を目指す・・その前にお腹を満たそうと東本願寺直営か?
しんらん会館にあるレストランでランチ~~ランチ1500円+デザート300円

お腹を満たした後は東本願寺を見学・・一応ここまでが予定としていたのですが、まだ時間的に
余裕があるので本能寺と二条城・京都御所を追加~

さて、本願寺から本能寺までは泊まっていたホテルに近いみたいで結構な距離を歩きましたよ~

本能寺からは逆走して二条城に向かう・・途中道が分からなくなってしまい下校中の小学生に
聴くと、「バスに乗った方が早いですよ~」って親切に助言してくれました~多分オバサン姿が歩く
なんてたいへんだな~ぁって判断されたのかもね~^^;
それでもめげずに歩いて二条城に・・ここは大型バスが沢山止まっていて、中には多くの人が
見学してるんでしょうね・・例によってケチケチは外のみ見学~~(笑)

二条城から京都御所は比較的近く着きました~御所は工事中で隠れていましたが、
とりあえず目的は達成しましたよ~
御所からは地下鉄で京都駅に戻り荷物を取ってから夕飯を購入~そして新幹線で帰宅~

短い時間ではありましたが、自分の足で歩いて回れた事がどれだけ素晴らしい事か
最後の最後に健康に感謝です・・・
約1年間に渡り、わがまま一杯の主催者に文句も言わずついてきてくれた君ちゃん、
Kさん、ちっちさんありがとう~~
街道歩きの時の様な忙しさがない朝を迎え、朝ぶろに浸かり、ホテルの無料の朝食
を頂きました。本来ここのホテルは無料のバイクングなんですが、全館リホーム中の
ため、お弁当での提供となっていました・・
我々はサンドイッチを頂き、コーヒーとトマトジュースも頂いて一泊4000円とお手頃
価格です。


ホテルを後にし未明まで雨が降っていたと思われる道を歩き京阪の祇園四条駅から
電車で伏見稲荷神社にと向かう。今回の観光希望は私が伏見稲荷の鳥居、Kさんが
東寺傍にある羅城門跡地を、後はなりゆきって感じの行き当たりばったりの観光です。(笑)




伏見稲荷も多くの外国の方が見学に来ていましたね~この鳥居を全部回ると2時間は
かかると言う事なので途中で引き返してきました。その後は奈良線で京都駅に行き新幹線
乗り場に近いコインロッカーに荷物を預け身軽で観光続行~
Kさんが見たいと言っていた羅城門跡地は五重塔で有名な東寺を越して行くのでついでに
東寺も見学~五重塔が綺麗に見える場所は有料なので外から見学・・(アハハ・・ケチだから)




羅城門跡地は小さな公園の中にあり、京の都があった時代にはきらびやかったでしょうね。


羅城門跡地見学後、再び当時の前を通過し、京都水族館がある梅小路公園の梅を見学
しながら西本願寺を見に行く・・




がしかし西本願寺を目の前にしながら「何処が西本願寺なのよ」~~ってブツブツ言いながら
通り過ぎてしまう。近場に居た方に尋ねると、道路越しに大きお寺さんがあるが、「ここのお寺さん
なんていうのかな?」など話していた場所が西本願寺でした・・アハハ~目の前で見てたのに気が
付かないってね~^_^; 道路の向こう側が西本願寺~~

西を見損なったので今度は東本願寺を目指す・・その前にお腹を満たそうと東本願寺直営か?
しんらん会館にあるレストランでランチ~~ランチ1500円+デザート300円



お腹を満たした後は東本願寺を見学・・一応ここまでが予定としていたのですが、まだ時間的に
余裕があるので本能寺と二条城・京都御所を追加~



さて、本願寺から本能寺までは泊まっていたホテルに近いみたいで結構な距離を歩きましたよ~




本能寺からは逆走して二条城に向かう・・途中道が分からなくなってしまい下校中の小学生に
聴くと、「バスに乗った方が早いですよ~」って親切に助言してくれました~多分オバサン姿が歩く
なんてたいへんだな~ぁって判断されたのかもね~^^;
それでもめげずに歩いて二条城に・・ここは大型バスが沢山止まっていて、中には多くの人が
見学してるんでしょうね・・例によってケチケチは外のみ見学~~(笑)




二条城から京都御所は比較的近く着きました~御所は工事中で隠れていましたが、
とりあえず目的は達成しましたよ~
御所からは地下鉄で京都駅に戻り荷物を取ってから夕飯を購入~そして新幹線で帰宅~




短い時間ではありましたが、自分の足で歩いて回れた事がどれだけ素晴らしい事か
最後の最後に健康に感謝です・・・
約1年間に渡り、わがまま一杯の主催者に文句も言わずついてきてくれた君ちゃん、
Kさん、ちっちさんありがとう~~
[No.2529] 2019/02/24 (Sun) 13:16
中山道12回目ー2
H31年2月19日(火) 天候雨一時曇り
コース守山宿残り~草津宿~大津宿~小関越え経由三条大橋までおおよろ32キロ
天気予報では朝の6時過ぎには雨が降り出すと言う事なので、雨が降り出す前に少し
でも進もうと早めに宿を出発したのですが、外に出たらパラパラと雨が~~
ガビ~~ンもう降って来てしまったよ~~もう、もう我々はまたしても三条大橋には傘を
指してのゴールってことかよ~
悲しみに浸りながらも足は京都にと進む・・真っ暗な守山宿を進みながら、雨と涙が
入り混じって顔を濡らす・・(オオバーかもね~(笑))

久々に現存する一里塚を見つけては街道歩きをしてるんだな~ぁって実感しながら
進んでいるうちに、毎回のイベントであるお腹注意報発令・・(笑)
行けども、行けどもコンビニ無し、こうなんたら草津の駅まで皆さんダッシュで向かう・・
でも線路は見えども駅が中々見えない、こんな時は馬鹿力が出るのか競歩モード・・
駅があった~~間一髪駅員さんに頼みトイレに直行~、がしかし行列が・・
もんどり打ちながら鍵の開くのを待つこの身・・
もう待ったなし状態は本当に困ったもんですね~その後はスッキリさせてから元の道に
戻って進む。

さて、草津は東海道と中山道が合流する場所です。その合流地点に行くには草津側から
川渡りをしてから草津宿に入っていくのですが、持っていた地図は8年位前の案内なので、
その当時の設定とは明らかに違っており少しだけ右往左往してしまいました。
今は現代的な河川敷になっていて、面影は残っていませんでしたよ~

今は川を渡るのでなく、このトンネルをくぐれば直ぐに草津宿なんですよね~
この草津川越えを終えるとここから東海道になります。
2016年の10月以来に同じ道を進みますが、やはり時の流れは早く、前には無かった
マンションやら、戸建ての家や、コンビニ等が増えていましたよ~

弁天池は2016年に通た時は赤くなっていましたが、今回はごく普通の色をした池でした。
淡々と進む栗林町は相も変わらず淡々としていました・・
でも月輪辺りは新興住宅地開発中なのか、少し当たりの景色は変わっていましたね。
それでも一里塚や、大きなたぬき、瀬戸の唐橋の辺りは前のままかもな?でも、瀬戸の
唐橋に行く途中の歩道は広くなった感じがしますね・・


唐橋を越え、狭い道はくねくね曲がりながら大津宿に入って行きます。今回大津から三条に
行くには東海道をそのまま行くのではなく、途中から小関越えで向かいます。
小関越えに備えて、県庁近くの定食屋でランチタイム・・
ま”すでに作ってあるのかは定かではありませんが、牛丼並みの提供にビックリ・・
味ですか???う~~んかな??

う~~んと言うお味の定食を食べてから一行は小関越えに向かいます。
おおよそ4.5キロと言う小関峠は京都に入る最後のアップダウンとなります。それでも東海道の
逢坂を越すよりちょっぴ離距離が短いかもね・・
細かい道を回りながら東海道と合流~やった~京都の文字が迎えてくれます。

あとはひたすら三条大橋を目指しますが、その前に明智光秀の首塚を見学するため裏道に入る・・
ちょっぴり迷子になったので町の方に聞くも「分からない」だってさ~ぁ・・ま”関心が無いと分からない
のかもね~そうこうしてる内に工事関係者の方に教えて頂き見学が出来ました。
そこからは一本裏道を歩き三条大橋に向かう・・・

東海道57次に続き中山道69次も雨降りの三条大橋ゴール・・・もうついてないな~ぁ・・
今回は晴天の空の下、晴れ晴れした完歩ゴールが出来ると思ったのに・・
ま”何はともかく誰一人として怪我もなくゴール出来た事は喜ばしいことですね。
ゴール後は鴨川河川敷を歩きながら今日の宿であるスーパーホテル四条河原まで向かい
ます。ちっちさんはゴール後帰宅するので四条大橋まで一緒し、その後は歩いて京都駅に
と向かいました。ホテルは市場河原町から直ぐなんですが、お上り状態の我々には分から
ないので、近場にいた高校生に聞いたところ、ホテルまで案内してくれたんですよ~
女子高生のお蔭ですんなり宿に着き、チェックインを済ませてから荷物を置き身軽になって
から街に出て夕食をしに行きました。

お仲間さんからディナーの接待を受け、ほろ酔い加減で宿に戻り、大きな湯船に
使った後は次ぎの日の観光旅行の計画を話しながら深い眠りに着く・・

京都観光編に続く・・
コース守山宿残り~草津宿~大津宿~小関越え経由三条大橋までおおよろ32キロ
天気予報では朝の6時過ぎには雨が降り出すと言う事なので、雨が降り出す前に少し
でも進もうと早めに宿を出発したのですが、外に出たらパラパラと雨が~~

ガビ~~ンもう降って来てしまったよ~~もう、もう我々はまたしても三条大橋には傘を
指してのゴールってことかよ~

悲しみに浸りながらも足は京都にと進む・・真っ暗な守山宿を進みながら、雨と涙が
入り混じって顔を濡らす・・(オオバーかもね~(笑))



久々に現存する一里塚を見つけては街道歩きをしてるんだな~ぁって実感しながら
進んでいるうちに、毎回のイベントであるお腹注意報発令・・(笑)
行けども、行けどもコンビニ無し、こうなんたら草津の駅まで皆さんダッシュで向かう・・
でも線路は見えども駅が中々見えない、こんな時は馬鹿力が出るのか競歩モード・・
駅があった~~間一髪駅員さんに頼みトイレに直行~、がしかし行列が・・
もんどり打ちながら鍵の開くのを待つこの身・・

もう待ったなし状態は本当に困ったもんですね~その後はスッキリさせてから元の道に
戻って進む。




さて、草津は東海道と中山道が合流する場所です。その合流地点に行くには草津側から
川渡りをしてから草津宿に入っていくのですが、持っていた地図は8年位前の案内なので、
その当時の設定とは明らかに違っており少しだけ右往左往してしまいました。
今は現代的な河川敷になっていて、面影は残っていませんでしたよ~



今は川を渡るのでなく、このトンネルをくぐれば直ぐに草津宿なんですよね~
この草津川越えを終えるとここから東海道になります。
2016年の10月以来に同じ道を進みますが、やはり時の流れは早く、前には無かった
マンションやら、戸建ての家や、コンビニ等が増えていましたよ~



弁天池は2016年に通た時は赤くなっていましたが、今回はごく普通の色をした池でした。
淡々と進む栗林町は相も変わらず淡々としていました・・

でも月輪辺りは新興住宅地開発中なのか、少し当たりの景色は変わっていましたね。
それでも一里塚や、大きなたぬき、瀬戸の唐橋の辺りは前のままかもな?でも、瀬戸の
唐橋に行く途中の歩道は広くなった感じがしますね・・








唐橋を越え、狭い道はくねくね曲がりながら大津宿に入って行きます。今回大津から三条に
行くには東海道をそのまま行くのではなく、途中から小関越えで向かいます。
小関越えに備えて、県庁近くの定食屋でランチタイム・・
ま”すでに作ってあるのかは定かではありませんが、牛丼並みの提供にビックリ・・
味ですか???う~~んかな??




う~~んと言うお味の定食を食べてから一行は小関越えに向かいます。
おおよそ4.5キロと言う小関峠は京都に入る最後のアップダウンとなります。それでも東海道の
逢坂を越すよりちょっぴ離距離が短いかもね・・
細かい道を回りながら東海道と合流~やった~京都の文字が迎えてくれます。



あとはひたすら三条大橋を目指しますが、その前に明智光秀の首塚を見学するため裏道に入る・・
ちょっぴり迷子になったので町の方に聞くも「分からない」だってさ~ぁ・・ま”関心が無いと分からない
のかもね~そうこうしてる内に工事関係者の方に教えて頂き見学が出来ました。
そこからは一本裏道を歩き三条大橋に向かう・・・




東海道57次に続き中山道69次も雨降りの三条大橋ゴール・・・もうついてないな~ぁ・・
今回は晴天の空の下、晴れ晴れした完歩ゴールが出来ると思ったのに・・
ま”何はともかく誰一人として怪我もなくゴール出来た事は喜ばしいことですね。
ゴール後は鴨川河川敷を歩きながら今日の宿であるスーパーホテル四条河原まで向かい
ます。ちっちさんはゴール後帰宅するので四条大橋まで一緒し、その後は歩いて京都駅に
と向かいました。ホテルは市場河原町から直ぐなんですが、お上り状態の我々には分から
ないので、近場にいた高校生に聞いたところ、ホテルまで案内してくれたんですよ~
女子高生のお蔭ですんなり宿に着き、チェックインを済ませてから荷物を置き身軽になって
から街に出て夕食をしに行きました。



お仲間さんからディナーの接待を受け、ほろ酔い加減で宿に戻り、大きな湯船に
使った後は次ぎの日の観光旅行の計画を話しながら深い眠りに着く・・

京都観光編に続く・・
[No.2528] 2019/02/22 (Fri) 11:39
中山道12回目ー1
いよいよ今月で中山道69次が完了しました。
昨年の(H30年)2月に日本橋をスタートし、今年の(H31年)2月に京都の
三条大橋にゴールしました。それも東海道の時と同じ雨がお迎え~
今回は青空がお迎えしてくれるかと思っていたのに・・・
2月17日~18日(日)~(月)天候晴れ
コース愛知川駅~武佐宿~守山宿 距離おおよそ27キロ
2月17日の23時15分発の夜行高速バスで彦根駅まで向かい、彦根から近江線でスタート地の
愛知川駅にと向かう。バスは18日6時1分着の予定が少し早めに彦根に到着したので近江線
の始発5時52分に乗る事が出来ました。
天気予報では今日は暖かくなるような事を言っていましたが、やはり早朝は寒い・・
始発電車には数名の方が乗っていて、その内数名が同じ愛知川で下車しました。
こんなに早くからご苦労様って感じですね~で、その中の方にお願いして集合写真
を撮って頂きました。そしていよいよ最終回の一日目がスタート~
静かな街並みを進むと愛知川にかかる御幸橋上で日の出を迎える・・橋を渡りきる
と松屋発見~早速朝食を取り、約40分の休息のち元気に出発~


街道の途中には茅葺屋根の家や、旧五個荘局の国有形文化財の建物がぽつんと建って
いたり、近江商人の大きなモニュメントが飾られていたりしました。

近江商人に見送られながら街道は武佐宿にと入って行きます。老蘇の森が見える辺りの
安土町からは信長の本拠地だった安土城が有ったお山が見える・・
そんな歴史を感じながら歩を進めるが、またまたこの辺でお腹にアクシデントが・・

何処を探してもコンビニや、休息所は見当たらない・・そこで大きなお寺である広済寺と
思われるお寺さんのトイレを拝借・・がしかし水洗の水が出ない・・
そこでKさんが
ご住職の自宅まで行き、理由を尋ねてくれた。結果、凍結防止の為元栓を止めてあると
かで開栓してくれました。


街道は近江の横関町に入り、舟渡し場であった横関渡し場跡を経由して現在の横関橋を
渡り進むのですが、毎回のイベントである迷子、迷子になりました・・
舟渡し場跡の案内板を目の前にして、左の土手を行かなければいけない所、右の土手を
進んでしまいました。地図では新幹線の線路を背にするようになっているのに、どんどん
線路が近くなり慌ててU-タン・・・正規の道に戻り横関橋が見えた時はホットしましたよ~
ま”こんな間違いは沢山あって笑えますけどね・・

とりあえず街道に戻れた安心感か、この先食事が出来ないと困るので、一番最初に
目にしたラーメン店でランチタイムを取りました。20分位の休息のち再び街道歩きに
戻ります。

ここから暫らくは源頼朝関連や、平宗盛・清盛親子の関連の事を祭事した場所が多く
あったり、甲山古墳があったり、また、野洲小学校前には朝鮮人街道追分標識があったり、
なかなか歴史的な場所だったと感心しながら歩きました・・

そんな歴史を感じながら野洲川橋を渡るといよいよ守山宿にと入って行きます。
そしてこの橋より30分位した場所にある宿に本日は宿泊~
今回は素泊まりなため、一旦荷物を置いてから夕飯と明日の朝食を調達しにスーパーに
向かいました。各自食べたい物を購入し、ささやかな夕餉をした後、まったり湯に浸かりました。
高速バスでの寝不足もあり、21時過ぎには夢の世界に・・
守山宿の宿は石秀さんと言い、素泊まり4000円で、大きなお風呂だし、館内は清潔感に
溢れ、お布団はふかふかで素晴らしかったです・・東海道・中山道を通して多分一番良
かったと思っています。

食べかけの汚い食事風景ですみません~~
そうそう、ここでニュース・・橋を渡って直ぐの場所に廃墟ビルが見え、そこにTV局の取材が
来ていたのを遠巻きに眺めながら、もしかしたら廃墟バスターズ??みたいな取材かな~
なんて言いながら歩いていました。で夕方宿泊先のTVのニュースでそこの事を放送していた
ではありませんか~~何でも廃墟にはアスベストが使われていて、住民が困っているとか・・
最終回に続く・・
昨年の(H30年)2月に日本橋をスタートし、今年の(H31年)2月に京都の
三条大橋にゴールしました。それも東海道の時と同じ雨がお迎え~
今回は青空がお迎えしてくれるかと思っていたのに・・・
2月17日~18日(日)~(月)天候晴れ
コース愛知川駅~武佐宿~守山宿 距離おおよそ27キロ
2月17日の23時15分発の夜行高速バスで彦根駅まで向かい、彦根から近江線でスタート地の
愛知川駅にと向かう。バスは18日6時1分着の予定が少し早めに彦根に到着したので近江線
の始発5時52分に乗る事が出来ました。
天気予報では今日は暖かくなるような事を言っていましたが、やはり早朝は寒い・・
始発電車には数名の方が乗っていて、その内数名が同じ愛知川で下車しました。
こんなに早くからご苦労様って感じですね~で、その中の方にお願いして集合写真
を撮って頂きました。そしていよいよ最終回の一日目がスタート~
静かな街並みを進むと愛知川にかかる御幸橋上で日の出を迎える・・橋を渡りきる
と松屋発見~早速朝食を取り、約40分の休息のち元気に出発~












街道の途中には茅葺屋根の家や、旧五個荘局の国有形文化財の建物がぽつんと建って
いたり、近江商人の大きなモニュメントが飾られていたりしました。




近江商人に見送られながら街道は武佐宿にと入って行きます。老蘇の森が見える辺りの
安土町からは信長の本拠地だった安土城が有ったお山が見える・・
そんな歴史を感じながら歩を進めるが、またまたこの辺でお腹にアクシデントが・・




何処を探してもコンビニや、休息所は見当たらない・・そこで大きなお寺である広済寺と
思われるお寺さんのトイレを拝借・・がしかし水洗の水が出ない・・

ご住職の自宅まで行き、理由を尋ねてくれた。結果、凍結防止の為元栓を止めてあると
かで開栓してくれました。







街道は近江の横関町に入り、舟渡し場であった横関渡し場跡を経由して現在の横関橋を
渡り進むのですが、毎回のイベントである迷子、迷子になりました・・

舟渡し場跡の案内板を目の前にして、左の土手を行かなければいけない所、右の土手を
進んでしまいました。地図では新幹線の線路を背にするようになっているのに、どんどん
線路が近くなり慌ててU-タン・・・正規の道に戻り横関橋が見えた時はホットしましたよ~
ま”こんな間違いは沢山あって笑えますけどね・・




とりあえず街道に戻れた安心感か、この先食事が出来ないと困るので、一番最初に
目にしたラーメン店でランチタイムを取りました。20分位の休息のち再び街道歩きに
戻ります。


ここから暫らくは源頼朝関連や、平宗盛・清盛親子の関連の事を祭事した場所が多く
あったり、甲山古墳があったり、また、野洲小学校前には朝鮮人街道追分標識があったり、
なかなか歴史的な場所だったと感心しながら歩きました・・




そんな歴史を感じながら野洲川橋を渡るといよいよ守山宿にと入って行きます。
そしてこの橋より30分位した場所にある宿に本日は宿泊~
今回は素泊まりなため、一旦荷物を置いてから夕飯と明日の朝食を調達しにスーパーに
向かいました。各自食べたい物を購入し、ささやかな夕餉をした後、まったり湯に浸かりました。
高速バスでの寝不足もあり、21時過ぎには夢の世界に・・
守山宿の宿は石秀さんと言い、素泊まり4000円で、大きなお風呂だし、館内は清潔感に
溢れ、お布団はふかふかで素晴らしかったです・・東海道・中山道を通して多分一番良
かったと思っています。



食べかけの汚い食事風景ですみません~~

そうそう、ここでニュース・・橋を渡って直ぐの場所に廃墟ビルが見え、そこにTV局の取材が
来ていたのを遠巻きに眺めながら、もしかしたら廃墟バスターズ??みたいな取材かな~
なんて言いながら歩いていました。で夕方宿泊先のTVのニュースでそこの事を放送していた
ではありませんか~~何でも廃墟にはアスベストが使われていて、住民が困っているとか・・
最終回に続く・・
[No.2525] 2019/02/21 (Thu) 20:04
中山道終わりました~
[No.2524] 2019/02/15 (Fri) 11:02
中山道あと一回で終わり~
[No.2523] 2019/02/06 (Wed) 15:58
中山道11回目ー3
2019年1月23日 天候晴れ
コース
醒ヶ井駅より醒井宿の残り分ー番場宿ー鳥居本ー高宮ー愛知川宿(えちがわ)の
愛知川駅までのおおよそ22キロ
6時30分にホテルの朝食を頂き、7時27分の電車で醒ヶ井駅にと向かい、本日のゴール
地点である愛知川駅にと街道歩きをスタートしました。
白い息をたなびかせながら、静かな街並みを進む。昨日から気になっていた地面から
飛び出している物体の正体を確かめたくて地元の人を探す・・霜で凍った車の窓を拭いて
いるサラリーマンを見つけた時には尽かさず「これは一体なんなんでしょうか?」って
尋ねました~~(ちょっと答えが不明ですが何かの配管の圧を抜くものだとか・・・??)
ま”変な事に興味を持ちながら街道は番場宿に入って行きます。
街道沿いの庭先にはここが本陣、ここが問屋場と石の案内が掲げられいています。


またここが瞼の母で有名な番場の忠太郎出身地(小説の中の人ですけどね)の番場である
なんて無知な私としてはビックリよ~
ま”架空の人物でも一応祀ってある場所があるとかでその
場所に行ってみた・・結果はこのお寺の奥の方なので見て来ることは出来なかったけどね。

のどかな番場宿から次の鳥居本宿に行くには名神高速道路の側道を進み、小摺針
(こすりはり)峠をえて行きます。多分、高速道路が出来た為にこの峠も歩きやすくなった
かもしれませんが、 短い距離ではありますがハードでしたよ~
峠を越えいよいよ鳥居本宿にと入って行きます。街道沿いに彦根市のモニュメントが
お出迎えしてくれました~

そんな中、「神教丸」で有名な赤玉神教丸有川家を見学~誰でも入って見学自由らしく、
門戸を開放してありました・・ちっちさんはここのくすりを飲んでいると持参した物を見せて
くれましたよ~

有川家の見学後は街道を進むのですが、道幅が狭く、車の流れが気になり少し早足で宿を
通過しました。そうそう、ここには合羽を扱うお店が多数あったとか・・
「鳥居本宿には、雨の多い木曽路に向かう旅人のための雨具を扱う合羽所が15軒もあった。
鳥居本での合羽の製造は1970年代に終焉した。」看板のみを残し、産地の歴史を伝えている。
合羽所松屋の間違い
近江線彦根駅を過ぎたあたりから道はやや広くなり、暫らくは新幹線と高速道路に挟まれ
た田園風景ののどかな道になります。そして高速道路の塀ギリギリの場所に小野小町塚が
祀られています。案内を読むと、。「出羽国郡司小野美実(好美)は奥州に下る際、小野宿に
泊まり、ここで生後間もない女児を養女にもらい受け出羽国へ連れて帰った、この子が
小野小町といわれる」とか・・

街道は新幹線のガードをくぐると高宮宿にと入って行きます。石清水神社がある辺り
一帯は町を整備しているらしく、道路の拡張工事や、新興住宅地開発を行っていていました。
数年後には見違えるほど近代化の街になっているでしょうね・・・
街道には多賀大社の鳥居があり、その横には大きな常夜灯がありました。13段の
階段があると書いてあったので裏側の階段を見る・・本当に大きいですね・・
街道にはそれなりの歴史は残っていますが、今回も食べ物が売ってる店が見当たらず
気分的に歴史を楽しんでいる場合じゃなくなってきた・・^_^;
まだ時間は早いけど、何だか今日も嫌な予感がするぞ~~
地図には大鳥居が有った場所から1キロも行かない場所に食堂マークが載っていた
ので頑張って向かう。が、その場所は定休日~~~あれ~ぇ・・・
でも、その店の前にパン屋さんがあったので、この先の事を考え速攻店内へ・・
各自パンを購入し、目の前のにあるむじん橋地蔵尊傍で食べました。
むじん橋とは「説明板によると「天保の初め彦根藩はこの地の富豪に、広く一般の人々に
寄付を募って橋を架けさせた。当時川渡しや仮橋は有料であった。この橋は渡り賃をとら
なかったことから、むちんばしと呼ばれた」
「むちん橋地蔵尊」は「昭和57年橋脚改修工事の際に橋脚下から発見された。最初に架橋
された時の地蔵としてお祀りをしている。」

高宮橋を越すと無駄に(笑)広い道路になります・・暫らくは広い道路を進み再び彦根の
モニュメントに迎えられ、高宮宿と愛知川宿との間の宿である石畑に入る・・

ここには豊郷町が誇る豊郷小学校旧校舎があります・・がしかし、私と君ちゃんはおしゃべり
に夢中でその姿を目にすることが出来なかったよ~

写真と説明は豊郷観光協会HPより拝借)
豊郷小学校旧校舎群は、昭和12年に近江商人、商社「丸紅」の専務であった古川鉄治郎氏
によって寄贈され、建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏の設計で建てられました。
当時は、「白亜の教育殿堂」「東洋一の小学校」といわれ、平成25年には国の登録有形文化財
の教育の殿堂と言われたそうです。
この小学校からほどなくして、伊藤忠商事を設立した伊藤忠兵衛生家があり、無料で公開して
いるので見学をして来ました。さすがお大金持ちが住んでいたお屋敷、広いよ~
ついでにトイレ休憩をしたのち豊郷を後に次の愛知川宿を目指します。

おおよそ3キロ弱進むと今回の終了地の愛知川宿の入口である近江線の愛知川駅に
着きました。ここから近江線で米子まで向かい米子からは新幹線で各自の駅にと向かいます。

さて~来月(2月)はいよいよ最終京都です・・
コース
醒ヶ井駅より醒井宿の残り分ー番場宿ー鳥居本ー高宮ー愛知川宿(えちがわ)の
愛知川駅までのおおよそ22キロ
6時30分にホテルの朝食を頂き、7時27分の電車で醒ヶ井駅にと向かい、本日のゴール
地点である愛知川駅にと街道歩きをスタートしました。


白い息をたなびかせながら、静かな街並みを進む。昨日から気になっていた地面から
飛び出している物体の正体を確かめたくて地元の人を探す・・霜で凍った車の窓を拭いて
いるサラリーマンを見つけた時には尽かさず「これは一体なんなんでしょうか?」って
尋ねました~~(ちょっと答えが不明ですが何かの配管の圧を抜くものだとか・・・??)
ま”変な事に興味を持ちながら街道は番場宿に入って行きます。
街道沿いの庭先にはここが本陣、ここが問屋場と石の案内が掲げられいています。








またここが瞼の母で有名な番場の忠太郎出身地(小説の中の人ですけどね)の番場である
なんて無知な私としてはビックリよ~

場所に行ってみた・・結果はこのお寺の奥の方なので見て来ることは出来なかったけどね。



のどかな番場宿から次の鳥居本宿に行くには名神高速道路の側道を進み、小摺針
(こすりはり)峠をえて行きます。多分、高速道路が出来た為にこの峠も歩きやすくなった
かもしれませんが、 短い距離ではありますがハードでしたよ~
峠を越えいよいよ鳥居本宿にと入って行きます。街道沿いに彦根市のモニュメントが
お出迎えしてくれました~




そんな中、「神教丸」で有名な赤玉神教丸有川家を見学~誰でも入って見学自由らしく、
門戸を開放してありました・・ちっちさんはここのくすりを飲んでいると持参した物を見せて
くれましたよ~



有川家の見学後は街道を進むのですが、道幅が狭く、車の流れが気になり少し早足で宿を
通過しました。そうそう、ここには合羽を扱うお店が多数あったとか・・
「鳥居本宿には、雨の多い木曽路に向かう旅人のための雨具を扱う合羽所が15軒もあった。
鳥居本での合羽の製造は1970年代に終焉した。」看板のみを残し、産地の歴史を伝えている。




近江線彦根駅を過ぎたあたりから道はやや広くなり、暫らくは新幹線と高速道路に挟まれ
た田園風景ののどかな道になります。そして高速道路の塀ギリギリの場所に小野小町塚が
祀られています。案内を読むと、。「出羽国郡司小野美実(好美)は奥州に下る際、小野宿に
泊まり、ここで生後間もない女児を養女にもらい受け出羽国へ連れて帰った、この子が
小野小町といわれる」とか・・


街道は新幹線のガードをくぐると高宮宿にと入って行きます。石清水神社がある辺り
一帯は町を整備しているらしく、道路の拡張工事や、新興住宅地開発を行っていていました。
数年後には見違えるほど近代化の街になっているでしょうね・・・
街道には多賀大社の鳥居があり、その横には大きな常夜灯がありました。13段の
階段があると書いてあったので裏側の階段を見る・・本当に大きいですね・・




街道にはそれなりの歴史は残っていますが、今回も食べ物が売ってる店が見当たらず
気分的に歴史を楽しんでいる場合じゃなくなってきた・・^_^;
まだ時間は早いけど、何だか今日も嫌な予感がするぞ~~
地図には大鳥居が有った場所から1キロも行かない場所に食堂マークが載っていた
ので頑張って向かう。が、その場所は定休日~~~あれ~ぇ・・・
でも、その店の前にパン屋さんがあったので、この先の事を考え速攻店内へ・・
各自パンを購入し、目の前のにあるむじん橋地蔵尊傍で食べました。
むじん橋とは「説明板によると「天保の初め彦根藩はこの地の富豪に、広く一般の人々に
寄付を募って橋を架けさせた。当時川渡しや仮橋は有料であった。この橋は渡り賃をとら
なかったことから、むちんばしと呼ばれた」
「むちん橋地蔵尊」は「昭和57年橋脚改修工事の際に橋脚下から発見された。最初に架橋
された時の地蔵としてお祀りをしている。」



高宮橋を越すと無駄に(笑)広い道路になります・・暫らくは広い道路を進み再び彦根の
モニュメントに迎えられ、高宮宿と愛知川宿との間の宿である石畑に入る・・



ここには豊郷町が誇る豊郷小学校旧校舎があります・・がしかし、私と君ちゃんはおしゃべり
に夢中でその姿を目にすることが出来なかったよ~

写真と説明は豊郷観光協会HPより拝借)
豊郷小学校旧校舎群は、昭和12年に近江商人、商社「丸紅」の専務であった古川鉄治郎氏
によって寄贈され、建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏の設計で建てられました。
当時は、「白亜の教育殿堂」「東洋一の小学校」といわれ、平成25年には国の登録有形文化財
の教育の殿堂と言われたそうです。
この小学校からほどなくして、伊藤忠商事を設立した伊藤忠兵衛生家があり、無料で公開して
いるので見学をして来ました。さすがお大金持ちが住んでいたお屋敷、広いよ~
ついでにトイレ休憩をしたのち豊郷を後に次の愛知川宿を目指します。



おおよそ3キロ弱進むと今回の終了地の愛知川宿の入口である近江線の愛知川駅に
着きました。ここから近江線で米子まで向かい米子からは新幹線で各自の駅にと向かいます。




さて~来月(2月)はいよいよ最終京都です・・
[No.2522] 2019/02/03 (Sun) 23:26
中山道11回目ー2
2019年 1月22日(火)薄曇り一時雨
コース 美濃赤坂駅から赤坂宿残りー垂井(たるい)宿ー関ヶ原宿ー今須宿ー柏原宿
醒井宿の醒ヶ井駅まで おおよそ25キロ
アパマンホテルのバイキング朝食を食べた後8時04分の電車で前日の美濃赤坂駅にと
向かう。外に出るとかなり大粒の
雨が降っている・・あちゃぁ~傘が無いよ~皆は準備
良く用意してきてるのに、全く危機感のない私・・そこで駅のコンビニに飛び込み傘を購入・・
ビニール傘はもし止んでしまうと持って歩くのが面倒だから折り畳みを購入・・
ランニングの時使っていた簡易合羽(大きなビニール袋)は持って来てるのでリックは
濡らす事はないので一安心。それにしても寒い・・

かわいいワンマンカー電車は定刻に赤坂駅につき、居合わせた高校生にお願いして
スタート時の写真を撮ってもらう。

さて、雨の中昨日の道にと戻るところ、裏道にお茶屋敷なる建物があるので覗いて行く
事にしました。(家康が岐阜城の御殿を移籍し、将軍専用の宿泊所とした)
静かな庭園にはボタン園があり、開花の頃にはさぞ賑わってる場所なんでしょうね。

暫し庭園を探訪した後、兜塚等の史跡をみながら歩を進めてたんですが、スタートして
間もないのに私のお腹が氾濫を起こしだし待ったなし状態に・・(苦笑)
近くの会社に駆け込み助けを求め事なきを得ました・・毎回、本当に皆さんには迷惑を
かてしまいますよ~~その間にちっちさんが近場を散策していて素晴らしい古墳の場所
を見つけて来ました。災い回避後には全員で古墳を見学に行きました・・
何故かヘルメットが置いてある~
昼飯(ひるい)大塚古墳と言う広い公園になっており、暖かい日にはのんびり遊べて良い
場所でしょうね・・でもあくまでも古墳ですからね・・・
昼飯伝説ー本多善道が難波の海から拾い上げた三尊仏(善光寺如来)を信濃に運ぶ途中ここで昼飯を
摂った (この辺りの地名になっている)

古墳を半周してから街道に戻り歩を進める。ほどなくして史跡の里青墓(あおはか)町
と書かれた地域に入る・・再び粉糠山(こぬかやま)古墳の表示があるので見に行って
みたがそこは墓地になっていて昼飯古墳のような公園ではなかったので周りだけさらっと
観ただけで先に進む・・(前方後円墳)
この辺りは道が狭く、結構な交通量なので結構神経を使いながら歩く。また史跡の町でも
下調べ不足でどこに何があるのか把握してないので貴重な物があるのでしょうげ先を急ぐ
事にしました。
青野ヶ原の一里塚を過ぎると垂井宿にと向かいます。相川橋を超えると垂井宿・・
1777年築の旅籠丸亀屋を始め、昔の面影を多く残しています。
(
垂井宿を超えると関ヶ原宿にと向かいます。東海道を歩いた時見る事が出来なかった
合戦場地を今回はしっかり見てこようとここで少し時間を費やす事にしました。
合戦場はどんなところだったか?興味深々で向かうと、な~~も無い原っぱ・・
う~~んここが合戦場か~~って思っていると何やら私のお腹がまたまた修羅場に・・^_^;
家康の初陣場所を見たくてもそんな悠長な事言ってられない・・とにかくトイレ~~
ちっちさんに撮影を託し、いざ合戦・・

勝利を収めた後は意気揚々と他の合戦場にと向かいます。この頃はまだお腹が空いて
いなかったので、折角あった食堂をパスして道表示に従って合戦場跡地に向かいました。
と言うのも、その表示の傍に、合戦場方面に洒落たお店の看板をみたので、合戦場見学
がてら食事をしてこようと話し合ったのでしたが・・・・・・・
まずは古戦場の入り口がちょっぴり違う事と、営業していると思ってた店が定休日だった
事がここでの大きな誤算でした・・

結構な道のりを歩き、ここが合戦場と言う場所に到着したのが12時を大きく過ぎていました。
その後は開戦地を遠巻きに眺めながら街道にと戻ります。
関ヶ原は歴史的に多くの人命が落とされた場所だったんだな~ぁっと思いながら歩を進めました。

合戦地から離れのどかな街道を進んでいると、小さなお子さんを連れた若いママさんと遭遇・・
この寒空の下で元気に遊ぶ子供をみるとみなババは顔がほころんでしまいました。
暫らくは幼い子(1歳児)と一緒に歩いていると大根のなる木を発見(爆笑)
傍らには鶯の滝なる物が・・(年中鶯の鳴く平坦地の滝としてしられている)

その後幼子と別れ、新幹線のガードをくぐると常盤御前墓の案内が・・そこの場所に
向かうと綺麗に掃除されたお墓が見ててきました。ついでに綺麗なトイレも・・
お参りをした後街道沿いには常盤地蔵が鎮座していました。
(常盤御前は鞍馬山から東国に向かった牛若丸を案じ、乳母の千草と後を追い、山中の宿で土賊の殺された)
(村人が哀れに思い、常盤地蔵を安置した。義経が大群を率いて上洛をする時、この地蔵前で母の冥福を祈った)
さて、街道は今須峠を越え、今須宿にと入って行きます。ここまでたいしたアップダウンは
無かったので、たった数分の峠にヘイヘイしてしまいましたよ~~(笑)
多分、この峠は当時としては難所だったかもしれませんね。
難所と言えばこの時間になっても食堂は一切無し、今日はこのまま昼飯抜きでで歩く
かもしれないと、いや~~な予感が・・

今須宿に入りやっとこさ町民の姿を発見~食事
が出来る場所を尋ねるも残念
ながらその店を発見することが出来なかった・・・

ならば次の宿まで3キロ強なのでそこまで頑張る事にし歩を進める
街道は寝物語の里と言う場所に来た。一体ここはどの様な場所なのか興味を持っていた。
そしてその場所は、岐阜県と滋賀県の境目があり、資料には美濃側に旅籠両国屋、
近江側に旅籠かめやがあり、寝ながらに話が出来たと言う場所でした・・
今は跡形もないですが、想像すると面白いですよね。

静かな山並みから街道は柏原宿にと入って行きます。ここなら食堂の一軒もあっても
おかしくないよね~なんて会話も空しく一軒も無し・・
もうこの時点では今日のランチは抜きにしようと決断する~~
間隔の短い柏原宿は昔の面影が多く残る場所で、古い建物がかなり残っていましたが、
すきっ腹の私には興味が無くなっていましたよ~~

そうなると一刻も早く次の宿である醒井にと歩を進める事にしました。醒井に向かう
途中には古道の小川関跡を通過するのですが、何らかの事情で通行不可になっい
たので、暫らくは県道を進みました。街道を歩いていると一軒の工場があり、その工
場の隅っこに何時降ったのか定かではありませんが雪が積もっていましたよ~
そういえばこの辺りは融雪剤・凍結防止剤があっちこっちに置いてありました。その
くらい雪が降る場所なんでしょうね・・地域の知識がほとんど無い私には想像がつか
ないな~ぁ・・
それにしても寒いな~~ぁ・・(お腹の中も。。ふぅ・・)

いよいよ本日最後の醒井宿にと入ります。街道沿いにはきれいな水が流れていて、
川の中には梅花藻が生えており、ハリヨと言う魚が生息しています。
春になると川面一面に小さな白い花が咲き、観光客が沢山訪れるとか・・今は地元
の方の姿も見えないくらい静かな街並みですけどね・・・

醒井宿に入って数キロで本日のゴール地点である醒ヶ井駅に向かい、ここから
JR東海道本線で米原まで行き、駅前の東横イン米原新幹線西口店に泊まります。
今回は夕食はついてないので宿に入る前に待望の食事をしようと店を探すが、これ
また新幹線佐久平駅同様、駅前にはお店がほとんどありません。
駅近にあるスーパーの店員さんにラーメン店を教えて頂き、やっとこさ食事が出来ま
したよ~
そして、お腹一杯になり体も温まりました。食後は再びスーパーに立ち寄り、明日用
のお菓子と、寝酒用の酒とつまみを購入してからホテルにと向かいました。
今回は大風呂はないので各自お部屋でゆったりまったりお風呂に入る事にし、
明日の6時30分までは個々に休息を取る事にしました。

それにしても、駅に近いホテルだからしょうがないけど、う~~今日も列車の音で
暫らく寝付けなかったよ~
3日目に続く・・
コース 美濃赤坂駅から赤坂宿残りー垂井(たるい)宿ー関ヶ原宿ー今須宿ー柏原宿
醒井宿の醒ヶ井駅まで おおよそ25キロ
アパマンホテルのバイキング朝食を食べた後8時04分の電車で前日の美濃赤坂駅にと
向かう。外に出るとかなり大粒の

良く用意してきてるのに、全く危機感のない私・・そこで駅のコンビニに飛び込み傘を購入・・
ビニール傘はもし止んでしまうと持って歩くのが面倒だから折り畳みを購入・・
ランニングの時使っていた簡易合羽(大きなビニール袋)は持って来てるのでリックは
濡らす事はないので一安心。それにしても寒い・・

かわいいワンマンカー電車は定刻に赤坂駅につき、居合わせた高校生にお願いして
スタート時の写真を撮ってもらう。

さて、雨の中昨日の道にと戻るところ、裏道にお茶屋敷なる建物があるので覗いて行く
事にしました。(家康が岐阜城の御殿を移籍し、将軍専用の宿泊所とした)
静かな庭園にはボタン園があり、開花の頃にはさぞ賑わってる場所なんでしょうね。


暫し庭園を探訪した後、兜塚等の史跡をみながら歩を進めてたんですが、スタートして
間もないのに私のお腹が氾濫を起こしだし待ったなし状態に・・(苦笑)
近くの会社に駆け込み助けを求め事なきを得ました・・毎回、本当に皆さんには迷惑を
かてしまいますよ~~その間にちっちさんが近場を散策していて素晴らしい古墳の場所
を見つけて来ました。災い回避後には全員で古墳を見学に行きました・・



昼飯(ひるい)大塚古墳と言う広い公園になっており、暖かい日にはのんびり遊べて良い
場所でしょうね・・でもあくまでも古墳ですからね・・・
昼飯伝説ー本多善道が難波の海から拾い上げた三尊仏(善光寺如来)を信濃に運ぶ途中ここで昼飯を
摂った (この辺りの地名になっている)


古墳を半周してから街道に戻り歩を進める。ほどなくして史跡の里青墓(あおはか)町
と書かれた地域に入る・・再び粉糠山(こぬかやま)古墳の表示があるので見に行って
みたがそこは墓地になっていて昼飯古墳のような公園ではなかったので周りだけさらっと
観ただけで先に進む・・(前方後円墳)
この辺りは道が狭く、結構な交通量なので結構神経を使いながら歩く。また史跡の町でも
下調べ不足でどこに何があるのか把握してないので貴重な物があるのでしょうげ先を急ぐ
事にしました。
青野ヶ原の一里塚を過ぎると垂井宿にと向かいます。相川橋を超えると垂井宿・・
1777年築の旅籠丸亀屋を始め、昔の面影を多く残しています。






垂井宿を超えると関ヶ原宿にと向かいます。東海道を歩いた時見る事が出来なかった
合戦場地を今回はしっかり見てこようとここで少し時間を費やす事にしました。
合戦場はどんなところだったか?興味深々で向かうと、な~~も無い原っぱ・・
う~~んここが合戦場か~~って思っていると何やら私のお腹がまたまた修羅場に・・^_^;
家康の初陣場所を見たくてもそんな悠長な事言ってられない・・とにかくトイレ~~

ちっちさんに撮影を託し、いざ合戦・・




勝利を収めた後は意気揚々と他の合戦場にと向かいます。この頃はまだお腹が空いて
いなかったので、折角あった食堂をパスして道表示に従って合戦場跡地に向かいました。
と言うのも、その表示の傍に、合戦場方面に洒落たお店の看板をみたので、合戦場見学
がてら食事をしてこようと話し合ったのでしたが・・・・・・・
まずは古戦場の入り口がちょっぴり違う事と、営業していると思ってた店が定休日だった
事がここでの大きな誤算でした・・





結構な道のりを歩き、ここが合戦場と言う場所に到着したのが12時を大きく過ぎていました。
その後は開戦地を遠巻きに眺めながら街道にと戻ります。
関ヶ原は歴史的に多くの人命が落とされた場所だったんだな~ぁっと思いながら歩を進めました。




合戦地から離れのどかな街道を進んでいると、小さなお子さんを連れた若いママさんと遭遇・・
この寒空の下で元気に遊ぶ子供をみるとみなババは顔がほころんでしまいました。
暫らくは幼い子(1歳児)と一緒に歩いていると大根のなる木を発見(爆笑)
傍らには鶯の滝なる物が・・(年中鶯の鳴く平坦地の滝としてしられている)




その後幼子と別れ、新幹線のガードをくぐると常盤御前墓の案内が・・そこの場所に
向かうと綺麗に掃除されたお墓が見ててきました。ついでに綺麗なトイレも・・
お参りをした後街道沿いには常盤地蔵が鎮座していました。
(常盤御前は鞍馬山から東国に向かった牛若丸を案じ、乳母の千草と後を追い、山中の宿で土賊の殺された)
(村人が哀れに思い、常盤地蔵を安置した。義経が大群を率いて上洛をする時、この地蔵前で母の冥福を祈った)
さて、街道は今須峠を越え、今須宿にと入って行きます。ここまでたいしたアップダウンは
無かったので、たった数分の峠にヘイヘイしてしまいましたよ~~(笑)
多分、この峠は当時としては難所だったかもしれませんね。
難所と言えばこの時間になっても食堂は一切無し、今日はこのまま昼飯抜きでで歩く
かもしれないと、いや~~な予感が・・





今須宿に入りやっとこさ町民の姿を発見~食事

ながらその店を発見することが出来なかった・・・


ならば次の宿まで3キロ強なのでそこまで頑張る事にし歩を進める

街道は寝物語の里と言う場所に来た。一体ここはどの様な場所なのか興味を持っていた。
そしてその場所は、岐阜県と滋賀県の境目があり、資料には美濃側に旅籠両国屋、
近江側に旅籠かめやがあり、寝ながらに話が出来たと言う場所でした・・
今は跡形もないですが、想像すると面白いですよね。



静かな山並みから街道は柏原宿にと入って行きます。ここなら食堂の一軒もあっても
おかしくないよね~なんて会話も空しく一軒も無し・・
もうこの時点では今日のランチは抜きにしようと決断する~~

間隔の短い柏原宿は昔の面影が多く残る場所で、古い建物がかなり残っていましたが、
すきっ腹の私には興味が無くなっていましたよ~~





そうなると一刻も早く次の宿である醒井にと歩を進める事にしました。醒井に向かう
途中には古道の小川関跡を通過するのですが、何らかの事情で通行不可になっい
たので、暫らくは県道を進みました。街道を歩いていると一軒の工場があり、その工
場の隅っこに何時降ったのか定かではありませんが雪が積もっていましたよ~

そういえばこの辺りは融雪剤・凍結防止剤があっちこっちに置いてありました。その
くらい雪が降る場所なんでしょうね・・地域の知識がほとんど無い私には想像がつか
ないな~ぁ・・



いよいよ本日最後の醒井宿にと入ります。街道沿いにはきれいな水が流れていて、
川の中には梅花藻が生えており、ハリヨと言う魚が生息しています。
春になると川面一面に小さな白い花が咲き、観光客が沢山訪れるとか・・今は地元
の方の姿も見えないくらい静かな街並みですけどね・・・








醒井宿に入って数キロで本日のゴール地点である醒ヶ井駅に向かい、ここから
JR東海道本線で米原まで行き、駅前の東横イン米原新幹線西口店に泊まります。
今回は夕食はついてないので宿に入る前に待望の食事をしようと店を探すが、これ
また新幹線佐久平駅同様、駅前にはお店がほとんどありません。
駅近にあるスーパーの店員さんにラーメン店を教えて頂き、やっとこさ食事が出来ま
したよ~

そして、お腹一杯になり体も温まりました。食後は再びスーパーに立ち寄り、明日用
のお菓子と、寝酒用の酒とつまみを購入してからホテルにと向かいました。
今回は大風呂はないので各自お部屋でゆったりまったりお風呂に入る事にし、
明日の6時30分までは個々に休息を取る事にしました。



それにしても、駅に近いホテルだからしょうがないけど、う~~今日も列車の音で
暫らく寝付けなかったよ~

3日目に続く・・
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